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日本人はなぜ無宗教なのか (ちくま新書)
本,阿満 利麿
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によって 阿満 利麿
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作者 : 阿満 利麿
コレクション : 本
ISBN-10 : 4480056858
発行日 : 1996/10/1
本のタイトル : 日本人はなぜ無宗教なのか (ちくま新書)
平均的な顧客フィードバック : 3.7 5つ星のうち(34人の読者)
ファイル名 : 日本人はなぜ無宗教なのか-ちくま新書.pdf (サーバー速度21.79 Mbps)
ファイルサイズ : 27.67 MB
内容(「BOOK」データベースより) いまや日本人は自分たちを「無宗教」と規定してなんら怪しむことがない。しかしほんとうに無宗教なのだろうか?日本人には神仏とともに生きた長い伝統がある。それなのになぜ「無宗教」を標榜し、特定宗派を怖れるのか?著者は民族の心性の歴史にその由来を尋ね、また近代化の過程にその理由を探る。そして、現代の日本人にあらためて宗教の意味を問いかける。
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内容(「BOOK」データベースより) いまや日本人は自分たちを「無宗教」と規定してなんら怪しむことがない。しかしほんとうに無宗教なのだろうか?日本人には神仏とともに生きた長い伝統がある。それなのになぜ「無宗教」を標榜し、特定宗派を怖れるのか?著者は民族の心性の歴史にその由来を尋ね、また近代化の過程にその理由を探る。そして、現代の日本人にあらためて宗教の意味を問いかける。
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本書は、日本人が、なぜ「個人的には無宗教だが、宗教心は大切だと思う。」(p.008)と答えるのかを説明しようとしており、筆者は、日本人の宗教心を、自然発生的な「自然宗教」と既存の「創唱(そうしょう)宗教」に区別し、「創唱宗教」に共感できず、「自然宗教」を信奉しているからとしています。ここで、筆者は、「創唱宗教」を、仏教・キリスト教・イスラム教等、教祖・経典・教団の3者で成り立っている宗教、「自然宗教」を、「大自然を信仰対象とする宗教」ではなく、3者をもたず、「無意識に先祖たちによって受け継がれ、今に続いてきた宗教」としています(p.011)。「自然宗教」は、「ご先祖を大切にする気持ちや、村の鎮守にたいする敬虔な心」(p.015)だとし、神道は、「天皇を中核とする宮廷信仰が中心」(p.019)なので、「創唱宗教」と「自然宗教」の中間に位置づけています。神道を中間に位置づけたのは、中央政府が、古代と近代に、有力な神社を国家の傘下にしたからで、戦前の神社整理・統廃合で、血縁・地縁の生活に密着した、身近な神(「自然宗教」)の祈願よりも、国家が規定した、疎遠な神(「創唱宗教」)の祭祀のほうを、優位にしています(p.105)。ただし、筆者は、それ以前の近世に、身近な神社で、氏子以外の見物人が祭りに参加しはじめ、祭りが祭礼になり、賽銭箱が登場したこと、氏子自身の宗教心が変化したこと、神主を職業とする人々が出現したことを、取り上げ(p.152)、共同の祈願が個人の祈願へと変化したとしています(p.154~156)。それとともに、旅でもしない限り、行き会うこともない見知らぬ神が、庶民も旅行が比較的容易になることで、名所の有力な神社に参拝できるようになり、そこが、近代に国家の傘下になりました。このように、筆者は、「創唱宗教」と「自然宗教」に区別しましたが、それだと、まず、「創唱宗教」に分類できる、仏教・神道の施設(仏寺・神社)に、現在の日本人は、なぜ参拝するのかに、解答できていないことになり、そもそも日本人は、なぜ神道と仏教を、受け入れたのかの疑問に、辿り着きます。つぎに、「自然宗教」のうち、戦前に整理・統廃合されたのは、地縁の神社だけで、血縁の一族・一家では、神棚・仏壇等の撤去が、強要されていないのに、現在の日本人は、なぜ「自然宗教」を継承していないのかにも、解答できません。さらに、現在の日本人の一部は、なぜ「創唱宗教」を信仰するのかにも、 解答できず、これらから、「創唱宗教」と「自然宗教」の区別が、あまりうまくいっていないことが、わかります。私が、本書で最も違和感があるのは、日本人の無宗教という、大勢の人々が対象なのに、貴族・武士・仏僧・儒学者等、特権階級や知識人が、「創唱」する言葉を、繋ぎ合わせて説明しようとしていることです。当時の大勢の人々は、その言葉を理解し、自発的に行動したとは、到底考えられず、有力者が、強制的に行動させたとも思えず、そもそも昔は、大勢の人々には、簡単な思想しか、行き渡らせられず、今のように詳細まで、伝え切れるようになったのは、戦前の軍事・学校教育からでしょう。ところで、筆者は、「我々が容易に「無宗教」を口にする原因の一つに、風俗や習慣となってしまった宗教は「宗教」でないという思いこみがあるようだ。」(p.017)といっています。また、キリスト教のクリスマス、仏教の葬式、神道の地鎮祭等は、宗教でなく、習俗的行事・社会的儀礼として処理され、「宗教が生活のなかに深く分け入って習慣となったとき、日本ではそれはもはや宗教ではなくなってしまうのだ。」(p.022)といっています。そのうえ、「宗教を教義や布教といった目立つ部分と、習慣や風俗あるいは儀礼や儀式という目立たない部分に二分し、習慣や儀式をとりたてて宗教とは見なさないという風潮は、現在もなお続いている。」(p.024)といっています。こうして、筆者は、宗教には、「思想」的な側面(教義面)と、「形式」的な側面(儀礼面、習慣・風俗・儀式・行事)の、両面があると、散々指摘しているのに、なぜ「思想」と「形式」に区分せず、「創唱宗教」と「自然宗教」で区別したのかが、大変疑問です。よって、日本人が、無宗教なのは、宗教的な「思想」(教義)を受け入れられるのは、少数で、宗教的な「形式」(儀礼)を受け入れられるのは、多数だからと、言い直せます。そして、筆者は、最後に、「生まれながらにして教団に属し、教団の年中行事や宗教行事に繰り返し参加しているうちに、いつしか信仰を手にするようになったという人も少なくない。」(p.196)といっており、宗教は、多数が「形式」を体験し、そのうち少数が「思想」を信仰するものだと、いえます。近代の神道非宗教論は、国家の祭儀という「形式」(儀礼面)と、個人の信仰という「思想」(教義面)が、二分され、「形式」(国家の公的外形)は、神社神道に、取り上げられたので、「思想」(個人の私的内心)は、キリスト教・新宗教(教派神道13派)等が、受け入れたと、みられます。それ以前の近世に、浄土真宗で提唱された真俗二諦論は、対内的な信仰生活(真諦)では、念仏で阿弥陀仏を尊崇し、対外的な世俗生活(俗諦)では、現況の制度を容認し、幕藩の統治に従順せよという主張ですが、これも、世俗生活の「形式」と信仰生活の「思想」の二分です。他方、清沢満之・高木顕明は、国家神道が、阿弥陀仏尊崇の無限の真諦よりも、天皇崇拝の有限の俗諦のほうを、優位にしたのとは反対に、俗諦(「形式」)よりも、真諦(「思想」)のほうが、優位だと、外界に対立しただけで、教派神道13派の新宗教も、おそらく内心は、同じことを考えていたでしょう。余談ですが、近世に、曹洞宗僧の鈴木正三は、仏教無用論に対抗し、百姓・職人・商人とも、「毎日の家業にいそしむことが仏教の実践にほかならない。」(p.160)とし、世俗生活の「形式」と信仰生活の「思想」は、一体だとしています(世法即仏法)。ここまでみれば、「形式」の整備が影響しており、血縁・地縁の身近な神仏(神棚・仏壇や地元の寺社等)が、生活に密着しておらず、行事もなければ、衰退する一方、疎遠な神仏でも、社寺が参拝者を歓迎すれば、隆盛することになり、筆者のいう「創唱宗教」(私のいう「思想」)は、その先の話です。そうなると、そもそも日本人は、なぜ神道と仏教を、最初に受け入れたかですが、私は、人や物の一生は、無常・必死必滅ですが、神道での祭祀や仏教での修行で、自然の摂理と同化し、永久不死不滅になることで、それを乗り越えようとしたと、推測しています。神道での祭祀は、不浄な状態(ケガレ・ツミ・タタリ)を清浄な状態(ハライ・ミソギ・キヨメ)へと転換する行為、仏教での修行は、迷いや苦しみを捨て去り、悟りを開き(「無」・「空」の境地)、そこから立ち戻る行為で、いずれも、それを反復するので、循環的な「形式」です。たとえば、親鸞は、いったん来世へ往ったつもりで、客観的に洞察し(往相回向/おうそうえこう)、そこから現世へと戻ったつもりで、主体的に行動することを(還相回向/げんそうえこう)、提案しており、これは、生前の現世(穢土)と死後の来世(浄土)の往来を反復する、循環的な「形式」です。道元は、真理の世界を、あらゆる生物が、その世界に溶け込んだ状態と想定し、現実の世界は、人間のみ、自他を区別する意識があり、それで迷い苦しむので、修行で排除すれば、真理の世界に到達できますが、また迷い苦しむので、修行を反復しなければならないとし、これも循環的な「形式」です。一方、人や物の一生は、おおむね誕生期→増進期→最盛期→減退期→死滅期と移行しますが、死滅期と誕生期をつなぎ、そこを仮死・再生期とみなし、それを繰り返せば、永久不死不滅になり、これは、一日で朝→昼→夕→夜→朝→…、一年で春→夏→秋→冬→春→…と移り変わる、自然の循環のようです。神道での祭祀や仏教での修行も、減退期(夕・秋、不浄・迷い)→仮死・再生期(夜・冬、浄化・悟り)→増進期(朝・春、清浄・実行)と、回復させようとする形式が、共通しており、だから永遠性を希求し、大勢の人々が、神道・仏教を(神仏習合も)受け入れられたと推測できます。平安期の「憂き世」(減退)から江戸期の「浮き世」(増進)への転換も、これと同様で、柳田国男の、「平凡と非凡」も、非凡な自分やエリートだからこそ、日常が平凡な人々の生活に立ち返り、自然の摂理のように、行き来すべきだと主張しているように、みえます。ムラ社会での、日常生活を平穏に維持するための、物質・感情の(出る杭は打たれる的な)平等化・平衡化の繰り返しも、…→増進期→最盛期(善・利得)→減退期→仮死・再生期(悪・損失)→増進期→…と、常時移り変わる、自然の循環のようです。ちなみに、葬式仏教は、儒教由来で、個人は必死必滅なので、それを集団で乗り越えようと、祖先を祭祀・崇拝、父母を敬愛し、子孫を誕生させ、これら3つが「孝行」で、祖先→父母→自分→子孫と家系を継承することで、一族・一家の永久不死不滅を希求しており、これも永遠的な「形式」です。以上より、「環境」が変われば、「思想」(意識)も変わり、やがて「思想」が、忘れ去られても、「形式」は、生き残るといえます。外来のクリスマスを一緒に過ごす・ハロウィンを一緒に騒ぐ・節分に恵方巻を無言で一本食べ切る等も、そこに「思想」はなく、「形式」のみの、非日常での気分転換程度の理由なので、流行するのでしょう。
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